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私と車の回想録(22)

最終更新日2007/01/19
さて、四国旅行の1年前1969年だと思うんですが、なにしろ相棒の組み合わせを間違えるくらいですから、1年くらいのずれはあると思うんですが、そこのところは、お許し下さい、町の中では、石田あゆみの、ブルーライト横浜や、ピンキーとキラーズの恋の季節,千 昌夫の星影のワルツ、といった曲が流れ、アメリカの原子力空母(エンタープライズ)がくるというので反対運動が盛んでそして、学生は、我々ノンポリは、別だが、東大、安田講堂の占拠から、各大学は、学生運動の、波が押し寄せ学生たちは長い休みを取る事になってくるのであるがそれに乗じて、この旅行が計画されたのである。
ふだん、本など読むことが無かったが、あまりにも有名になった 五木寛之氏の青年は荒野をめざせ、を読みこれは、海外に出なくてはと、さっそく行動に移したわけであるが、今のように旅行代理店が、めじろ押しである、状態ではなく、旅行といえばお金持ちがするものという時代であるから、計画から、泊まるところ交通手段、予算とすべて自分で決めてやらなくてはならないのですから、それは色々な壁にぶち当たったものです、その辺を次回より記憶を頼りに書いていこうとおもいます。