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団塊の世代つれづれ【ワシントンハイツ パート3)

最終更新日2009/10/17
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ワシントンハイツの入居は昭和22年3月からと書いてありましたから、20年の8月15日から、1年半の月日で出来たのだから、凄いものだ!ところで、この代々木の地になぜ私が
居たのか、この本の中に、ルーツが少し解明できました、それは進駐軍の生活【アメリカの軍隊)の中にクリーニングというものは非常に重要なファクターで、これにより、その業務を担ったのが、現【白洋舎)である、国内のクリーニングの技術はまだ、アメリカのその技術からは、ほど遠く、寂しいものだった、其の一員として我が父親は席を置いていたということだ、古い写真を見ると、其の時の様子が断片的ではあるが、少しわかる、父は渋谷の今もある、白洋舎本社に勤め、ドライクリーニングの横文字が入った、当時のオート三輪の脇で撮った写真や、デスクにも。横文字で書かれた、ネームプレート、といった記憶がある、又工場が相模原のほうにあったらしいが、記憶の奥底にそこへ行く父親にせがんで、配送用のトラックに乗せてもらい、行った記憶がある、思えば、その初体験のトラックが私の車に対する、憧れの始まりだったのかもしれないが、決定点けたのは、やはり何といっても、ワシントンハイツに、出入りする、赤や、クリーム、ブルーの鮮やかなカラーのシボレーやフォード、クライスラーであった。